幡枝八幡宮 略記

幡枝八幡宮社略記

 

祭神 譽田別尊(はんだわけのみこと)(応神天皇)

息長帯比賣命(ゐきながたらしひめのみこと)(神功皇后)

 

 城州愛宕郡幡枝に鎮座まします八幡宮と崇め奉るは、人皇59代宇多天皇の御宇(みよ)、寛平6年、新羅国(しらぎ)の夷賦等我邦(えびすらわがくに)の西境を犯さんとせしこと有師し頃、我里人に神託(おつげ)ましまし、皇都及び人民守護のため、此地に鎮座したまわんの神告(おつげ)ありて、正しく影向(えいごう)なしたまいしかば、宮(おおやけ)に秦(まを)した御社を創営し、神告を蒙りし、輩(ともがら)守護し奉りしより以来、神威日日に新に夜々著しく、その霊応を蒙ること挙げて員(かぞへ)がたし、之によって御代々々の天皇御尊崇ましまし、種々御神宝及び金帛御奉納なし給ひ、就中(なかんづく)、後水尾天皇殊に叡尊厚く、神田を御寄附あらせられ、近くは桃園帝、後桜町帝よりも数々祭具御寄附ましまし、今の菊御紋の吹散、御鉾なども其の一つなり。尚又、御社および神輿等御修復の節々も、御所々々御銀(おんぎん)を下しおかれ、堂上方(どうじょうかた)よりも夫々(それぞれ)御寄附相せられ、年々祭り式数度(たびたび)の中にも、八月御神祭(おんまつり)には御所々々堂上方より御初穂を御寄附したもう。尤も御神札をも四季に納め奉る処なり、また中古、刀鍛冶一条国廣鍛の道に秀んことを此御神に願い、日々に歩を運び冥助を祈り奉りしに、その大願成就の奉賽として、慶弔四年の秋、当御山の麓なる石清水といはる流の清泉を以て、神前に於て一振の御太刀を鍛え、神扉に備え奉りしを、後水尾帝聞召れ、叡覧あるべき仰(おおせ)を蒙り、神主等守護し奉(ささ)げ奉(たてまつり)りしに英感のあまり宮中に少頃(しばらく)とどめ置きたまひ、黄金作(こがねづくり)の御拵(こしらへ)を命じたまひ、唐裂(とうぎれ)の御太刀袋に納め再び御寄附になりたまふ。則ち神宝第一とす斯(う)。高貴の御尊崇座(まします)も、全く神験著(いちじるし)が故にして仰も中々愚なり。原(もと)から文武の高運を守りたもう御神なれば、貴きとなく賎となく日々に尊信したまわんには、士農工商ともその職業に出世繁盛し、家内安全和睦して、子孫長栄諸望満足したまひ、殊に剣刀を鍛ふ人々に、その道に秀で英名を挙たまわんこと、何の疑ありなん。

                            

                             平成八年十月吉日